【Webライター5年目】タカギユキのプロフィール、働き方、価値観

タカギユキの略歴

副業ライター、本業ライターを経て、自由な暮らしを思いきり楽しんだあと、ふとしたことがキッカケで飲み屋のホステスとしてバイトも始めました。現在は精神科病院で働きながら、副業としてライターのお仕事も続けています。

経歴をみると、自分のことながら、かなり一貫性のない人生だと思います。ただ、そのときにやりたかったことをやってきた結果なので、人生の満足度としてはとても高いです。

  • 2016年 副業としてライター業開始
  • 2017年 月商30万突破し、本業ライターに
  • 2019年 飲み屋のホステスをやってみる
  • 2020年 精神科勤務+副業ライター

ライターの仕事を始めたキッカケ

私が大学院生の博士課程に在籍していたとき、ボスだった教授はパワハラ体質で、昔の体育会系のノリで接してくる人でした。医療系の学問を選考していたのですが、ボスが決めた病院に、決められた曜日に派遣され、何もかもがマイクロ管理されている状態だったのです。

しまいには、どこまで本気かわかりませんが、「自分の息子と結婚しろ」と言い出す始末。子供のころから自由奔放で、自分のことは自分で決めたい思いが人一倍強かった私は、こんなふうに管理されることが耐えられず。単純に学費の負担を軽くしたかったという理由もありますが、その業界でやっていけなくなったときの備えとして、副収入になる仕事を探し始めました。

いま振り返ると、思考が制止したような状態になることが多かったので、軽いうつ状態だったのかなとも思います。

当時、ネットサーフィンが大好きで、よくWeb記事を見ていましたが、「ライター○○」という記名が。読み書きが好きで、大学院でも読み書きには少し免疫がある状態だったので、こういう仕事なら自分にもできるかもしれないと感じたことがキッカケです。

ちょうどその頃、犬を飼い始めたことも重なって、長時間留守番をさせることに抵抗もあり。「自宅でできる仕事っていいな」と感じたことも動機づけになっていました。子供と過ごす時間を持ちたくてWebライターの仕事を始める方も多いですが、私にとってはそんな感覚でした。

最初のライティング案件は400文字33円

初めてのライティングは、引越業者を利用したときの感想文を書くもので、単価は400文字33円。かなり安い報酬ではありましたが、「自分が書いた文章がお金になるのだ」という実感できた案件でした。

しばらくはクラウドソーシングを通して仕事を得ていましたが、毎月どんどん売上が増えていったり、自分がスキルアップしていったりすることがすごく刺激的で楽しかったです。

1ヶ月の売上が30万円を超えたタイミングで、窮屈に感じていた大学院を去って、本業ライターとしての生活をスタート私が得たのは、収入だけでなく、誰からもパワハラを受けない、自由で気楽な生活と大きな開放感。それまでは静かにパワハラに耐えて過ごしていたのに、こんなにも違った人生があったのだと気づかされたのです。

ある環境に身を置くと、そこでの風土が自分の常識になってしまう。でも、ひとつの生き方、これまでの生き方にこだわる必要はないし、他に違った世界はいくらでもある。どんな地点からでも軌道修正はできることを実感しました。

本業ライター期のライフスタイル

もともと何かにとらわれるのが苦手だったので、本業ライターとして活動していたときは、自由に時間の使い方を組み立てられるところが気に入っていました。通勤もいらないし、好きな時間帯に好きなだけ作業できちゃいます。

基本は日本に住んでいましたが、オンラインで収入を得ながら、マレーシアやタイなど物価が安い国で過ごす、なんていう時期も。そんなふうに思いきり羽を広げられる時間もすごくお気に入りでした。

よく食べていたガパオライスとトムヤムクンセット。だいたい500円もあれば満腹に。

大好物のタイスキ。日本のしゃぶしゃぶと似ていますが、タレがおいしい!

タイはマッサージも安いし上手なので、歩き疲れたり、PC作業で肩こりしたりしたらマッサージ屋さんへ。

海外でも日本でも同じですが、自由な時間が多い分、楽しいことはたくさんあります。ただ、手を抜けばそれだけ収入ダウンになってかえってくるので、タイムマネジメントはかなり意識していました。朝のうちに起きて、午前中はがっつり頑張る。集中力が切れてきたら、休憩をかねて家事を進める。気分転換できたら、午後からまた作業。仕事をしたくてそわそわしても、日曜日は必ず休む、遊ぶ。オン・オフを切り替えることを徹底していました。

人との交流を求めて、飲み屋のバイトに挑戦

ライター業の仕事、収入ともに満足していたのですが、人との交流という面では少し物足りなさも。いい関係を構築できたライター仲間やクライアントもいましたが、どうしてもオンラインでの交流が中心となってしまいます。

もう少し対面で人とコミュニケーションをとる機会がほしいと思っていたとき、知人から「週1でも、月1でもホステスをやってみない?」と話がありました。夜の街のことはさっぱりわからなかったのですが、人と会話をする時間がほしかったこともあり、思いきってホステス業に挑戦。

ホステス期には、そんな経験をコンテンツにすることも。自分の経験したことがすべてコンテンツにできてしまう、というのもWebライターの強みです。

ただ、月に数回のバイトのつもりが、だんだんお客様が増えてきて、気がつけば週5勤務に。その後、お店のお客様の紹介で知り合った方と交際することになり、1年くらい働いたころにホステスを卒業。後にも先にもないであろう、貴重な経験ができたと思っています。

好きなことをやりつくして、医療の仕事に復帰

ライターとして、ホステスとして、20代のうちに自分のやってみたいことに挑戦しながら、自由な暮らしを楽しんできました。パートナーが経営者で、不安定といえば不安定だったこともあり、定年まで続けられそうな医療の仕事への復帰も考え始めました。

ホステス業で人とのコミュニケーションに少し自信がつき、未経験ですが精神科を選びました。そんなにコミュニケーションが得意な方ではなかったのですが、バイトのおかげで20代後半にして克服できたように思います。現在は精神科で働きながら、副業としてWebライターの仕事を続けています。

本業ライターになったり、副業ライターになったり、一貫性がないといわれればそれまで。ライターの道を極めて、どんどんスキルアップできる人のほうがカッコイイのかもしれません。

ただ、そのときの自分の価値観や状況に応じて多様な働き方を実現してくれた、ライターのお仕事には感謝しかありません。ああすればよかった、こうすればよかったという後悔は一切ないです。

現在は副業としてライターを続けていますが、将来的に結婚や出産などのライフイベントを経て、100パーセント在宅での仕事にしたいと思うことがあるかもしれません。そのときも同じように、自分が思い描く働き方を実現していきたいと考えています。